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トップ > 小説現代長編新人賞 > 第9回小説現代長編新人賞

第9回小説現代長編新人賞

小島環

三皇の琴 天地を鳴動さす

受賞者の言葉

これから、どうやって生きていこうか。何も結果を出せないまま終わるのか、暗闇を走り続けるような生き方に行き詰まりを感じていた時、講談社さんから受賞の連絡をいただきました。
「すみません、もう一度言っていただけますか?」と、お願いするくらいに現実味がありませんでした。
それから数日、全てが私の思い込みだったらどうしよう、そうしたら病院を受診だな……、などと妄想しては怯えたり、この感覚は物語に活かせそうだな、などと楽しんだりしていました。
こうして受賞の言葉を書きながら、ようやく実感が湧いてきています。
思えば、幼い頃から空想が好きでした。
お世辞にも裕福とは言えない家庭で育ちましたが、空想は最も金がかからないうえに、自由度の高い遊びでした。
頭の中の想像を、小説という形で外に出し始めたのは、大学に入ってからです。
頭の中で生まれた世界やキャラクターが、自分以外の誰かに存在を認められるという面白さ、また、自分の考えた物語が人を驚かせ、楽しんでもらえるという喜びに、すぐに夢中になりました。
けれど、まさか生活を犠牲にするほど熱中するようになるとは、当時は微塵も考えていませんでした。
振り返ると、どうやら人生の三分の一を小説執筆に充てていたようです。
受賞も、プロとして生きてゆく道も、簡単ではないと思っていても諦められず、もう少しもう少しと人間関係や仕事や生活を削り、とうとう限界間近……という段階に追い込まれた時、今回の結果を頂戴しました。
選考委員の先生、編集者さん、新人賞に携わって下さった全ての方々、本当にありがとうございました。
また、応援してくれた友人と家族、特にずっと支えてくれたパートナーに心から感謝します。
受賞はスタートであると肝に銘じ、今後いっそうの努力をしていきたいと思います。そして、多くの方に楽しんでいただける物語を、書き続けていきたいです。

梗概

春秋末期の衛国(えいこく)。小柄な十五歳の少年・小旋風(しょうせんぷう)は、盗掘を生業(なりわい)とする養父に育てられ、家業の手伝いをさせられていた。 小旋風はこの仕事を嫌っていた。 あるとき墳墓の棺の中から華麗な琴を発見する。しかし、そのさなか落盤事故で養父が死んでしまう。 養父を失い、自由の身となった小旋風は、この琴を売って新しい仕事をしようと決めた。 その夜、小旋風の前に幽鬼のような女があらわれる。墳墓を荒らしたたたりかと小旋風は琴を抱えて衛国の首都へと逃げた。 琴を売ろうと小旋風は骨董収集家に持ち込んでみたが、足下を見られ、相手の提示した金額はわずかなものだった。 己の価値の低さを痛感した小旋風は、「琴の値段を極限まで高め、富豪から大金を得る。自分の真価を試す」と誓う。 一計を案じ「伏羲(ふつき)の琴」という伝説をでっち上げ、琴好きの将軍に売り込もうとするが。 自分自身の唯一の武器である言葉だけで世を渡り、小旋風は大金を手にすることができるのか――。

選評

石田衣良

諦めない力

今回は体調不良のため、選考会の冒頭しか出席できず、他の選考委員と編集部の皆さんに多大なご迷惑をおかけした。申し訳ありません。現在は元気に仕事復帰しておりますので、ご心配なく。実はあれが人生初入院でした。ああ、しんどかった。点滴嫌い。
「竹の刃」
警察官だが、セミプロの剣道特練員に目をつけたのはお手柄だった。努力家の兄と天才肌の弟。だが弟は農機具の事故で片腕を失ってしまう。特練主将として兄は、再起した弟と県大会の頂点を競うことになるが……。
ぼくはこの作品に○をつけて、選考会に臨んだ。けれど他の委員は全員不可。ちょっとあざといとつくりこみすぎた設定やストーリー運びに違和感を覚えたのかもしれない。けれど今の時代はこれくらいのサービス性が、エンタメには求められていると思う。このまま本になっても不思議はないレベルだ。
マイナス点はヒロインの造形と彼女が試合に手心を加えてくれと頼むところか。中盤以降試合場面の連続で、勝負の緊張感にダレが生まれてしまった。もうすこしメリハリが欲しい。剣道以外に主人公が心を遊ばせるような余裕があると、勝負にも厚みがでてくると思う。きくところによると編集部内でも、この作品は好評だったとか。作者は連続してまったく異なる作風で最終候補に残った。二十代と若く可能性を感じる。いつも「来年がんばれ」と選評では書いてきたが、岩井さん、あなたの場合は違う。次回も必ずこの賞に応募してください。力はすごい勢いで伸びている。ここで下を向く必要はまったくない。
「三皇の琴 天地を鳴動さす」
盗掘の下働きをしていた小僧・小旋風が王族の墓地で琴の名品を発見する。一攫千金を狙い金もちや貴族に商いをもちかけるのだが、なかなかうまくいかなくて……。軽快な中国冒険もので、エンターテインメントとして楽しく違和感なく読める。ということは完成度が高いということだ。ぼくは△をつけて選考会に臨んだ。新人賞決定の瞬間には立ち会えなかったけれど、この贈賞に不服はない。
出色のキャラクターは銀髪碧眼の女奏者・涓涓(けんけん)。小旋風が自分の音を心底ききわける「知音(ちいん)」だといいつきまとうのだが、古代中国のラムちゃんという雰囲気で、アルカイックな純愛が実に可愛らしい。小島環さん、おめでとう。デビューしてからが勝負という意味では、作家もスポーツ選手も変わらない。次の作品、その次の作品を、いつも胸に抱え、がんばって。新人作家冬の時代です。最初の五冊までは、石にかじりつく覚悟で書き抜いてください。

伊集院静

期待値の大きさ

銀座に小説好きが集まるバーがあって、その店のママが言うには、この頃は小説家に憧れる人が少ないと聞いた。小説は苦難の時代なんじゃないかしら、とも。私はただ笑っていたが、内心では、小説はいつの時代だって苦難と向き合っているよ、と言いたかった。今年も小説現代長編新人賞の選考の季節がやって来て、編集部に尋ねると、九百篇を越える応募作品が寄せられたと聞いた。たいした数字である。日本中にまだこれだけの小説を書こうとする人がいることが頼もしい。そのことは同時に選考する私たちの期待の数字でもある。どの町で、どんな人が、仕事の終った後の夜に、休日をすべて使って懸命に小説と対峙しているかを想像する。そうしてその作業はプロの私たちと何ひとつかわらない行為なのである。魔法のランプなどはなく一文字一文字を生み出すしかないのだ。それが基本であり、すべてなのである。
本木源氏の「吉原歌ごよみ」はまずは題材、テーマの面白さに魅かれた。小説にとってテーマは骨である。テーマを発見し、見据えることで創作意欲は自然とふくらみ爆発することさえある。日本人にとって民謡はいわば語りの原点でもある。読み進めるうちに次々にあらわれる登場人物に興味を引かれ、たいした新人があらわれたと思ったが、一人一人の人物が皆、名人とか、伝説の人と表現はしてあるものの肝心のどういう人物かが立ち上がって来ない。どうしてだろうか。掘り下げる作業が不足していた。惜しいと思った。主人公の志津子も一枚の履歴書の域を出ていない。人間の業欲をもっと書いて貰わねばせっかくの題材が活きない。しかし筆力はあるし、小説の筋も良いのでぜひ次作に挑んで欲しい。アンクル・ブウン氏の「セブンス・エンジェル」は女性のラグビーチームというのがまず着眼点が良かった。主人公の悩みが切実にならずユーモアが感じられるのも作者の才能だと思った。ただラグビーの魅力をもう少し読み手に伝わるようにして欲しかった。ラグビーのシーンになると妙に真面目になるので、どんな感情で女の子たちが動いているのか伝わらない。ただ候補作の中ではブウン氏の小説のセンスは卓越している気がした。今後に期待したい。小島環さんの「三皇の琴 天地を鳴動さす」は候補作の中で登場人物が私にはもっとも思い浮かんだ。他の候補作が現代小説だからもっと迫ってきてしかるべきなのに、中国の歴史の彼方の物語の方が人が活き活きとしているのはやはり作者の筆力と才気なのだろう。史実を平然と書いて捨て置くような荒削りなところもあったが、それも物語を押し進めようとする新人作家の情熱だろうと目をつぶった。これから先がどうなるか楽しみもある。受賞は期待値の大きさかもしれないがお目出度う。岩井啓庫氏の「竹の刃」は丁寧に平成の剣士のありようが描かれ好感が持てたが小説の醍醐味(だいごみ)をもっと考えて欲しかった。次作に期待したい。中谷睦氏の「ワイルドカード」はこれが小説として成立するのか私にはわからなかった。それに物語のスケールにもっと冒険があってもいいと思った。

角田光代

水準は体裁でない

高校を舞台に女子のラグビーを描く「セブンス・エンジェル」はすがすがしい、好感の持てる小説だった。ひとり、ラグビー経験者の女の子がいて、そのほか初心者の女の子たちが、それぞれラグビーという競技のおもしろさに目覚めて向き合っていくさまは、不自然になりそうだが、書き手の勢いで説得力を持たせている。試合を描くのもむずかしいと思うが、作者は奮闘していて、なかなか読ませる。もったいないのは、「好感」以上の感想が持てないこと。読み手に好感を持たせるということは、ものすごく大きな力ではあるのだけれど、それだけでは何かもの足りない。もうひとつほしい。そのもうひとつを、何か見つけて、もう一度書いてほしいと思う。そして、本人には強い思いがあるのだろうから蛇足だとは思うが、もしこの先長く書いていく気持ちがあるのなら、ペンネームは再考の必要があると思う。
「竹の刃」は、「剣道において、自分よりも才能のある弟が、あるとき事故に遭い、それでもそれを乗り越え、最後は兄弟対決」というしっかりとした筋書きがある。それは悪くないと思うのだが、その筋書きからどのように世界を立ち上げていくかが、小説を書くということだ。最初の筋書きから、この小説は一歩も外に出ていない。はみ出す部分がない。だから、長い長いただの筋書きになってしまっている。書く力はあるのに、センスがない。もしかして、小説を書くのにより必要なのは、書く力ではなくてセンスかもしれない。的外れなアドバイスかもしれないが、もっともっとたくさん、古今東西の本を読んでほしい。小説というものが、どんなふうに立ち上がってくるのか、まず体で知れば、センスというものもわかってくるのではないか。
春秋戦国時代の中国を舞台にした「三皇の琴 天地を鳴動さす」は、設定も道具立ても独特で非常に興味深い。語り手である十五歳の小旋風の家業は、盗掘。あるとき盗みに入った棺で、まだ生きているような死体を見つける。その死体から盗んだ琴を、なんとか高く売りさばこうと四苦八苦する。小説の半ばくらいまでは非常にテンポよく、こちらも引きこまれて読んだ。小旋風を追う、異様な姿の女の描写もみごとである。けれど半ば過ぎから、ところどころ、話がよくわからなくなってくる。ちょっと整理不足という印象がある。また、養父を亡くして、小旋風は大冒険をするわけだが、小説の冒頭から、終盤まで、成長や変化があまり感じられない。ずっと同じ少年のままであるように思え、その動かなさ加減が私には不満だった。それからラストの弦の仕掛けも、膝を打つには至らず、ちゃんと演奏が聴きたかったと思ってしまった(あるいはそう思わせるのは作品の魅力かもしれない)。それでも、まとまりの良さなどまったく気にせず、がむしゃらに駆け抜けた作者の熱意が、きちんと残る作品になっている。
高偏差値を誇る優秀な学園を舞台にした「ワイルドカード」は、文章と、キャラクターと、エピソードがみなちぐはぐだ。この文章で書くなら、もっと深刻な事件が起きる必要があったろう。使用済みコンドームの犯人さがしなど、読み手としてもどうでもよくなってしまう。この作品は、小説ではないほうが、その魅力を存分に発揮できるのではないかと思ったが、どうだろう。作者は、小説という容れものにこだわる理由を何か持っているのだろうか。持っているとするならば、べつの賞に応募したほうが、やはりその魅力を遺憾なく発揮できると思う。この作品にふさわしい応募先を調べてみてほしいと思う。
「吉原歌ごよみ」は、私には、本当に、本当に惜しい小説に思える。昭和三十年代、売春防止法施行をひかえた吉原、高度成長期、集団就職、東北と民謡。これだけ魅力的な題材をそろえ、しかも、作者にしかできないだろう綿密な取材をしている。それなのに、この小説には中心がない。核がない。エピソードのたんなる羅列になってしまっている。だから、民謡や三味線の、あの強さ、かなしさ、激しさ、おかしみ、日本のブルースと言ってもいいような凄みが、何も伝わってこない。このみごとな題材を生かすには、やはり、俯瞰(ふかん)する描きかたではなく、志津子に寄り添って、その目を通して書くべきではなかったか。十五歳の少女が、何を見て泣き、何を見て学び、何を見て歌い、何を見て強くなるのか。そうすれば、無色のようなこの小説に、すっと鮮やかな色がつくと思うのだが。
今回、全作を通してある水準を超えていて、レベルは高いと思ったけれど、その「水準」が、体裁を整えることになってしまっている気がして、それが残念だった。

花村萬月

描写と説明

――強い瞋恚と畏れを交互に顔の上に浮かべながら、詩紀は一言ずつ綴っていく。
 瞋恚という単語、読めますか。意味がわかりますか。これ、じつは学園モノの応募作の一節なのです。「ワイルドカード」は全篇、いつの時代だよ――と突っ込みたくなるような時代がかった比喩と、御都合主義的な人物の出し入れに途方に暮れてしまいました。中谷さんは御自分のお悧巧さんぶりを隠すことからはじめましょう。なにも知っている言葉を総動員する必要はないのですよ。いまのままだと知恵がついて得意絶頂にある中学生が強い瞋恚と畏れを交互に顔の上に浮かべながら綴ったかのような途轍もない作品ゆえに、大多数からは受け容れられずに趣味的世界に埋没してしまいます。
「セブンス・エンジェル」は読みやすく、選考委員の支持もあった青春小説でした。受賞に至らなかったのは作者も善い人なのでしょう、作品が圧倒的な善意に覆われていて、すべてが善い人でつくりあげられていることの物足りなさと、最後にすべての登場人物が善い結果を与えられたことによります。青春の挫折はどこに? 願っても叶わず、手が届かぬ悲しさは? 嫉妬は? 苛立ちは? このあたりの痛みが書き込まれていれば、ずいぶんと深みを増したことでしょう。
 期待して読みはじめた「吉原歌ごよみ」でしたが総花(そうばな)式(題材のよさに敬意を表し、あえて題材にリンクする古い言葉を遣ってみました)が作品を台なしにしてしまいました。惜しい――。調べたことをすべて書き込んでしまいました。群像を描きたかったのかもしれませんが、志津子のみに視点を据えて描くべきでしたし、有馬のエピソードは別の一篇の作品として書くべきでした。盛り込みすぎは作品を弱めます。二百五十枚以上五百枚以下ですから、大胆に削って二百五十枚程度で志津子の成長を昭和三十年代初頭の世相と合わせて描けば、打ち震えるような作品になったかもしれません。
「竹の刃」は一読、すんなり物語が頭に入ってきました。当然です。極端な物言いになりますが、五百枚使った梗概――長大な粗筋を読まされたのですから。読者である私が得たのは警察の剣道の仕組みだけでした。剣道などの必修化に合わせてよい題材を選びましたと褒めたいところですが、もしそれが執筆前に頭にあったのだとしたら傾向と対策を練ったことが裏目にでました。籠手(こて)や面頬(めんぽお)、防具って汗臭く垢臭いじゃないですか。それは女性剣士のものだっていっしょですが、ずいぶん清潔な剣道でした。なぜ、こんな爽やかなだけのものになってしまったのでしょう。理由は簡単です。描写していないのです。説明に終始しているのです。これはエンタテインメント小説の応募作によくある落とし穴です。よい題材と物語を発想したとたんに、筋書を定着することのみに突っ走ってしまう。けれど説明は小説ではありません。解説は小説ではありません。澄みきった湖で明鏡止水を説明してどうするのです? ここが岩井さんの小説家としての腕の見せ所ではないですか。前回の「決闘者の孤独」は題材が数学だけに抽象的な説明に終始しても粗は目立ちませんでしたが、今回は剣道ということで、その描写の欠如があからさまになってしまいました。
 受賞作「三皇の琴 天地を鳴動さす」に○をつけたのは私だけでした。あとはきれいに△が並びました。それでもこの作品が最高得点を得ました。あえてこんな内幕をさらしたのは、小島さんに奮起してほしいからです。私はこの作品を愉(たの)しく読みましたが、この賞には中国物では吉川永青さんという先達がいます。それで、どうかな――と思案したところがありました。ただし小島さんには人物を描いたときに過不足ない艶がありました。これは得難い資質ですが、まだ萌芽といったところ、どうかこの艶を自覚し、徹底して磨いてください。艶がある文章は強いのです。

最終候補作品

  • セブンス・エンジェル / アンクル・ブウン
  • 竹の刃 / 岩井啓庫
  • ワイルドカード / 中谷睦
  • 吉原歌ごよみ / 本木源