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トップ > 小説現代長編新人賞 > 第11回小説現代新人賞

第11回小説現代新人賞

泉ゆたか

お師匠さま、整いました!

受賞者の言葉

 十代後半のある日、もしかしたら私は小説を書けるかもしれない、と感じた瞬間がありました。
 夜中にパソコンに向かってみると、言葉がどんどん溢れ出し、人生で一番楽しい時を過ごしました。
 私には〝小説の神様〟がついているに違いないと、感じました。
 寝る間も惜しんで、思いの丈を一気に書き綴り、傑作を書き上げた確信を持ちました。
 しかし、結果は一次選考落選。
 何かの間違いだ、今回だけは運が悪かったんだ、と思いました。
 それから、より小説家らしい私生活を送ってみたり、身体を壊すような時間の使い方をしたりしながら、〝小説の神様〟の気配を感じるたびに、ひたすら書き殴りました。
 現実を受け止めるまでに、長い時間がかかりました。


 私の〝小説の神様〟は、ただの妄想でした。
 膨大な数の落選作を前に、やっと認めたのが五年前です。


 若い娘の時代の終わりとともに、こりゃ、長丁場になるぞ、と感じました。
 私が、大好きな小説を書き続けるためには、仕事に真剣に取り組み、身体を鍛え、周囲の人と良好な関係を築かなくてはいけないと気付きました。


 その決意どおりの生活ができたかは、わかりません。
 が、週に五日、仕事の後に二時間、必ず執筆に取り組む生活を送り始めた途端に、応募した作品が選考を通過し始めました。
 それから五年間。資料を読み込んだり、カルチャー教室に通ったりしながら、それまでとは比べものにならない、地味で平和な執筆生活を送りました。
 私生活で試練があっても、毎晩二時間、私の小説の中の登場人物は、困難に立ち向かい、幸せな結末を目指して奮闘しているという事実が、とても心強く感じられました。
 デビューまで、もうしばらくかかると思っていたので、今回、受賞の知らせを聞いて、驚きました。
 嬉しさを通り越して、ここからが大変になるな、と身の引き締まる思いです。
 小説を書く私を見守ってくれた、すべての方々に、心から感謝します。
 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。



泉ゆたか(いずみ・ゆたか)

一九八二年神奈川県逗子市生まれ。早稲田大学第二文学部、同大学院政治経済学部修士課程終了。大学在学中から小説の執筆をはじめる。現在は塾講師の傍ら、バイク専門誌のライターとして活動中。

梗概

「お師匠さま、整いました!」

 享保十一年、茅ヶ崎は大岡越前守の菩提寺である浄見寺。歳の離れた夫・清道を亡くしたばかりの桃は、算学者であった夫の跡を継ぎ、寺子屋の師匠をしている。
 しかし、本当は学問が苦手な桃は教える仕事に情熱を持てず、また、幼馴染の大工・平助からの好意に気づきながらも夫との生活を忘れられずにいた。
 ある日、酒匂川の氾濫で両親を亡くした春が浄見寺を訪ねてくる。すでに大人でありながらもう一度算術を学び直したいという。はじめは戸惑う桃であったが、春の朴訥さと一生懸命さに魅せられ、寺子屋で一番生意気な秀才娘・鈴の扱いに手を焼きつつも、学ぶ喜びに気づいていく。
 そんな中、酒匂川の治水工事が行われることが決まる。桃は新設された量地塾へ春を推薦し、平助も職人として量地塾へ通うことになる。推薦されなかったことが面白くない鈴は反抗的になるが、算術の難題を絵馬にして奉納する「算額」に取り組むことになり、桃の熱心な指導によって態度を改め、真剣に学問に打ち込むようになる。
 平助の招きによって酒匂川へ向かった桃と鈴は、堤防を整備し人の役にたっている春と平助に感銘を受ける。しかし、天候が急変、突然の大雨で水かさが増した酒匂川に春が飲み込まれてしまい……。

「お師匠さま、整いました!」

 享保十一年、茅ヶ崎は大岡越前守の菩提寺である浄見寺。歳の離れた夫・清道を亡くしたばかりの桃は、算学者であった夫の跡を継ぎ、寺子屋の師匠をしている。
 しかし、本当は学問が苦手な桃は教える仕事に情熱を持てず、また、幼馴染の大工・平助からの好意に気づきながらも夫との生活を忘れられずにいた。
 ある日、酒匂川の氾濫で両親を亡くした春が浄見寺を訪ねてくる。すでに大人でありながらもう一度算術を学び直したいという。はじめは戸惑う桃であったが、春の朴訥さと一生懸命さに魅せられ、寺子屋で一番生意気な秀才娘・鈴の扱いに手を焼きつつも、学ぶ喜びに気づいていく。
 そんな中、酒匂川の治水工事が行われることが決まる。桃は新設された量地塾へ春を推薦し、平助も職人として量地塾へ通うことになる。推薦されなかったことが面白くない鈴は反抗的になるが、算術の難題を絵馬にして奉納する「算額」に取り組むことになり、桃の熱心な指導によって態度を改め、真剣に学問に打ち込むようになる。
 平助の招きによって酒匂川へ向かった桃と鈴は、堤防を整備し人の役にたっている春と平助に感銘を受ける。しかし、天候が急変、突然の大雨で水かさが増した酒匂川に春が飲み込まれてしまい……。

奨励賞

城 明

あの頃トン子と

受賞者の言葉

 昨年の三月「俺の人生このままでいいのか?」と思い、仕事をやめた。そして何を思ったのか小説を書き始めてしまった。
 三ヵ月かけて最初の作品を書きあげたが、一次も通らずあえなく撃沈。読み返すと、自分でも何を書いているのかわからない文章に愕然とした。
「こりゃいかん!」と思い次の作品を書き始めたが、締め切りまで二ヵ月。書き始めてすぐ何か違和感を感じ、第八回受賞者、中澤日菜子さんの『お父さんと伊藤さん』を読んでみた。圧倒的に文章がうまい。私にこんな文章が書けるわけがないとあきらめかけた。しかし、読み進めるうちに中澤さんの作品が「あたし」という一人称で書かれていることに気付いた。それに対し、私は主人公の名前で書いている。調べてみると、小説には一人称と三人称の書き方があることを知った。なるほどと思い、私も「俺」という一人称で書いてみた。これが正解で、スラスラ書けるようになった。「なるほど、小説の世界も奥が深いものだ」と思いながら、なんとか二ヵ月で書きあげた。時間が足りず、中途半端な作品になってしまったが、どういうわけか今回の受賞に至った。
 最後に、拙作を読んでいただいた編集部の皆様、選考委員の皆様、本当にありがとうございました。

城 明(じょう・あきら)
一九五九年宮城県気仙沼市生まれ。仙台第三高等学校卒業後、法政大学文学部へ進学し、その後中退。地元企業勤務後、退社。現在は執筆活動に専念中。

 昨年の三月「俺の人生このままでいいのか?」と思い、仕事をやめた。そして何を思ったのか小説を書き始めてしまった。
 三ヵ月かけて最初の作品を書きあげたが、一次も通らずあえなく撃沈。読み返すと、自分でも何を書いているのかわからない文章に愕然とした。
「こりゃいかん!」と思い次の作品を書き始めたが、締め切りまで二ヵ月。書き始めてすぐ何か違和感を感じ、第八回受賞者、中澤日菜子さんの『お父さんと伊藤さん』を読んでみた。圧倒的に文章がうまい。私にこんな文章が書けるわけがないとあきらめかけた。しかし、読み進めるうちに中澤さんの作品が「あたし」という一人称で書かれていることに気付いた。それに対し、私は主人公の名前で書いている。調べてみると、小説には一人称と三人称の書き方があることを知った。なるほどと思い、私も「俺」という一人称で書いてみた。これが正解で、スラスラ書けるようになった。「なるほど、小説の世界も奥が深いものだ」と思いながら、なんとか二ヵ月で書きあげた。時間が足りず、中途半端な作品になってしまったが、どういうわけか今回の受賞に至った。
 最後に、拙作を読んでいただいた編集部の皆様、選考委員の皆様、本当にありがとうございました。

城 明(じょう・あきら)
一九五九年宮城県気仙沼市生まれ。仙台第三高等学校卒業後、法政大学文学部へ進学し、その後中退。地元企業勤務後、退社。現在は執筆活動に専念中。

梗概

「あの頃トン子と」

 養豚業に従事する洋一は、父親と二人で暮らしている。ふと思いついてトン子という育ちが悪い子ブタに「お手」や「お座り」を教えてみた。するとどういうことか、面白いように覚える。洋一はトン子の左耳にピンクのリボンを付けて可愛がりはじめる。
 そんなとき、幼馴染のマナブが東京での仕事をやめて、地元に帰ってきた。トン子に興味を持ったマナブは、洋一の家に居候することを決め、調教をはじめる。
 すると、トン子は訓練のかいあってしだいに「トンコ」と「エサ」という言葉を喋るようになったのだ。
 トン子を使って、一発当てられるかもしれない――そう思った二人は、地元のテレビ局にトン子のことを売り込む。
 芸をして、言葉をしゃべるブタに半信半疑だったテレビ局の面々も、実際にトン子が「お手」や「お回り」をしたり、喋るのを見ると一気に魅了され、テレビニュースでその様子が流れた。これがきっかけとなり、東京のテレビ局からも番組の出演依頼が舞い込む。
 あれよあれよという間に、トン子は人気ものになり、洋一とマナブもトン子と一緒に上京するのだが――。

「あの頃トン子と」

 養豚業に従事する洋一は、父親と二人で暮らしている。ふと思いついてトン子という育ちが悪い子ブタに「お手」や「お座り」を教えてみた。するとどういうことか、面白いように覚える。洋一はトン子の左耳にピンクのリボンを付けて可愛がりはじめる。
 そんなとき、幼馴染のマナブが東京での仕事をやめて、地元に帰ってきた。トン子に興味を持ったマナブは、洋一の家に居候することを決め、調教をはじめる。
 すると、トン子は訓練のかいあってしだいに「トンコ」と「エサ」という言葉を喋るようになったのだ。
 トン子を使って、一発当てられるかもしれない――そう思った二人は、地元のテレビ局にトン子のことを売り込む。
 芸をして、言葉をしゃべるブタに半信半疑だったテレビ局の面々も、実際にトン子が「お手」や「お回り」をしたり、喋るのを見ると一気に魅了され、テレビニュースでその様子が流れた。これがきっかけとなり、東京のテレビ局からも番組の出演依頼が舞い込む。
 あれよあれよという間に、トン子は人気ものになり、洋一とマナブもトン子と一緒に上京するのだが――。

選評

石田衣良

多く読み、すくなく書く

 今回は千篇を超える応募作が集まったと聞き、驚いている。最終候補に残った作品はバラエティに富み、作家志望者の広がりを感じさせた。ただしどの作者も読書量がまだ足りない印象だ。読んで読みぬいてから、絞りだすように書く。それが新人時代には必要なのではないだろうか。週に一冊読み、きちんと分析的なメモをとってみるのもおすすめ。
「ヴィーナスの林檎」 ヴィーナス像の修復を日本でおこなうというアイディアはいい。その細部も読ませる。けれども主役が彫像で、肝心の人間のドラマが手薄だった。長崎出島の風習はよく調べているが、小説を動かすのは動かない彫像ではなく、人と人のドラマなのだ。
「バトンパス」 町内会の運動会の4×100メートルリレーがクライマックスというほのぼのした物語。悪くはないけれど、インパクトに欠ける。主人公が走らなければならない理由をもっと切実に設定できなかったか。リレーもさっさと雑に書き過ぎ。もう一段色濃い感情やユーモアが読みたかった。
「眠れない夜になく」 文章の質は高い。作者は繊細な感情を描くのは得意なようだ。十代後半の男同士のはっきりとしない恋愛を描く作品で、一定の読者をつかみそうな気配を感じる。ただ市場に出回っている多くのBL作品と比べても、新味にとぼしい。恋愛が成就してからのふたりの関係の変化をもっと読みたかった。感情や感覚だけでなく物語をもっと動かしてほしい。
「あの頃トン子と」 中年男がふたり幼いメス豚に芸を仕込んで人生の一発逆転を狙うというヒューマンコメディ。どこかで読んだことのある作品が多いなか、新鮮な読後感が好印象だった。高校時代のガールフレンドやトン子の最期などは扱いが雑だが、この人の文章には天然のユーモアがある。選考委員の好感度は高かった。この作品がまぐれ当たりかどうかは次で決まる。城明さん、奨励賞おめでとう。がんばってください。
「お師匠さま、整いました!」 受賞作は三人の女性ヒロインが和算を学びながら成長していく時代小説に決定した。この三者三様の書き分けが秀逸。洪水で親を亡くし和算を志す春、年の離れた算学者の夫に先立たれた桃、数学の才能がある良家の子女・鈴。それぞれ胸に抱える葛藤があり、長所と欠点と魅力をもっている。この作品で初めて立体的なキャラクターが描かれるようになった印象がある。いまだ震災後のこの国に響く作品だ。文章もなめらかで読みやすい。問題点は長篇としては山と谷の差がちいさいこと。タイムリミットを設定する、ライバルを登場させる、時代の影を描くなど、方法はいくらでもある。次回作に期待します。泉ゆたかさん、新人賞おめでとう。ここからがスタートです。これからの三年間は潜水でプールを泳ぎ切る覚悟で、息をつめて小説に集中してください。

伊集院静

惜しかったトン子

 新しい人が、新しい世界を抱いて、私たちの前に、突如、あらわれる。彼なり、彼女が抱擁するその世界は今まで私が見たことがないほどまぶしくて、かがやくもので……、と想像をするのだが、この数年、当新人賞でそれほどの感情が湧かなかったのは残念である。
 さて今回はどうだっただろうか。まず最初に読んだのは、タイトルの語感、響きが良かったことと、必要以上に考え込むことがなくて済みそうだったからである。タイトルは小説の顔のようなところがあり、現代小説もそうだが、今昔の名作と呼ばれているものはどれも皆素晴らしいタイトルなのである。
 城明さんの「あの頃トン子と」は作品を読んでいて、この作者がこれまで何か文章に関わるか、映像の仕事に関わっていたような気がした(そうではないこともあるが)。読み易いし、主人公の一人? いや一匹のトン子なる子ブタの表情が浮かんで来る。一緒に産まれて来た同年齢の豚より、身体がちいさく、餌を与えられた時に他の子ブタから蹴飛ばされるシーンも見えるようだし、豚の世話をしている洋一を豚舎の隅でじっと見つめているシーンもイイ。描写が活き活きしている。帰郷したマナブのキャラクターも頃良い。少しずつトン子が喋るようになり、想像していたとおり世間の注目を浴びる段取りも良く描けている。起用されたコマーシャルが豚骨ラーメンというのには少し驚いた。一気に読めた点が作者の腕力を感じて良いと思った。ラストで他の豚とすり替えられていたという点は、それほど思いのあった豚の顔の判別ができないのがリアリティーに欠けていて残念だった(豚は皆顔が違うのは常識なのだが)。受賞にいたらなかった理由は作中で登場する女性の扱い方が乱暴であったことと、豚のすり替えの意味がよくわからなかった点だろう。佳作ではあったが十分に愉しんだし、次回作にむかって精進して欲しい。受賞作、泉ゆたかさんの「お師匠さま、整いました!」は安定感のある文章と作品全体の構成が候補作の中では一番すぐれていた。作中登場する三人の女性のキャラクターもそれぞれ活きていた。桃、春、鈴の出自もきちんと分けてあり、桃の夫であった算学者もそれなりの風情が感じられた。受賞にふさわしい才能と力量があった。今後が楽しみな作家だ。おめでとう。ただ読後に物足りなさが残っていたのは、物語をまとめ過ぎたせいかもしれない。どんどん書けばそれもなくなる気がする。有斗美暁生さんの「ヴィーナスの林檎」は他の候補作とまったく異質で、その裾野の広さに驚いた。ただ読んでいて、私にはリアリティーが感じられなかった。小説、物語は自由でいいのだが、ミロのヴィーナスが引っかかってしまった。残念。大滝知広さんの「バトンパス」は丁寧に書いてあり好感を持って読んだが、一番読みたいリレーのシーンがあっさりとして期待外れだった。物語のヤマ場を少し考えてはどうか。寝待ゆきさんの「眠れない夜になく」は文章が好きだった。ただこのテーマならもっとセンスが光る物語が書けた気がした。今後に期待したい。

角田光代

作者の方、どうか

「お師匠さま、整いました!」は、大雨による酒匂川の氾濫の場面からはじまる。そのとき両親が濁流に呑み込まれるのを見ていた春という娘が、茅ヶ崎にある寺子屋で算術を学ぶようになる、というストーリーである。働き者で無骨な春をはじめ、算学家の夫を亡くし、師匠となり寺子屋を受け継いだ桃や、桃を慕う大工の平助など、登場人物が生き生きと魅力的である。算術に取り憑かれた、生意気で承認欲求の人いちばい強い鈴という娘も、みごとに描き出されている。私はてっきり春を主軸に物語が進むのだと思っていたので、途中、春が量地塾にいってしまい、中心が鈴と桃に移り、ここで小説の芯がぶれたように感じた。とはいえ、最後のクライマックスまで含め、うまくひとつの世界を創り出した作品である。ひとつだけ、作者の方に、ご自身の文章を音読することを勧めたい。いかに不必要な読点が多いか、感覚でわかると思う。
「バトンパス」は読みやすいが、エピソードを詰めこみすぎだ。それで、書くべきことと書く必要のないもののバランスが崩れてしまっている。タイトルにある「バトンパス」や、練習も含め「走る」ことをこそ、ていねいに描くべきで、エドワードの恋、夏祭りでの彼の勘違い、村長との面談などをこんなに書きこむ必要はないと思う。走ることもバトンパスも描かれていないので、ラストのリレーも盛り上がらずに終わってしまった。エピソードをこんなに盛りこまなくても、作者のこの筆力で充分先を読ませるものが書ける。どうかそのことを信じて、削ることからはじめてほしい。
「あの頃トン子と」は、三十代後半の男二人が、豚に芸を仕込んでいくという風変わりなストーリーだ。流暢ではないが、文章に生活感がある。そのことに好感を持って読みはじめたのだが、彼らの中学時代の同級生イモ子と、彼女の後輩若葉が登場してから文章の長所が消えてしまうように感じた。語り手の洋一の目線で描かれているが、イモ子の描写にあまりにも容赦がない。子どもの悪口のようなストレートなけなし言葉の羅列に読み手として戸惑い、次第に不快を覚える。それが最後まで覆されることがないのが残念だ。
 そしてひとつだけ作者の方に伝えたいことがある。イモ子が洋一に、若葉の病歴について打ち明けるシーンがある。このシーンを書いた必然と意味を、どうか想像力をフルに働かせて考えてみてほしい。女性が女友だちのこうしたデリケートな話題を、男性に話すことはまずあり得ないと私(の想像力で)は思うし、もし話すのであれば、その女は、同性として引いてしまうくらいのどす黒い悪意を持っているはずだ。「なんとなく」言ってしまう、ような話題ではない。しかも、それが嘘だと終盤でわかる。このような嘘をつく人間なのならば、イモ子という登場人物の造形をイチから考えなおさなければならない。そうした悪意を持っているらしいイモ子にたいして、では洋一はどのような感情を抱き、どのような接し方をしていくのか、まるで変わってくると思う。作者がそのあたりに想像力を使っていないことに不満を覚えた。しかしながら、いちばん印象に残る小説であったことは否めない。
「眠れない夜になく」に、私は新鮮味を感じなかった。勉強もスポーツも難なくこなすユキと、極度の本好きでコミュニケーション障害の気配がある新という組み合わせ。ユキが新に惹かれていくという進展。そこにあらわれる謎のある教師。ていねいに描かれているのだが、既視感がある。性同一性障害や同性愛を少しうつくしく書きすぎではないかという気もした。うつくしく書くことに問題はないが、この小説の場合、そのうつくしさが軽さになってしまっている。作者は、この二人の距離をぐんと縮めてみるべきではなかったろうか。うつくしさだけでは片づけられないくらいの、読み手の心に残る重さを含んだこの先の関係をこそ、書いてほしかった。
「ヴィーナスの林檎」を私はおもしろく読んだ。資料を読み込みうまくまとめられていると思うのだが、その「うまさ」が、作品をこぢんまりとさせてしまったように思う。登場人物たちの感情や関係性に、もう一歩踏みこんで、もっと彼らを自在に動かせばドラマが生まれたのではないか。私が作者の方に問いたいのは、この題材を使って人間(あるいは関係、存在、運命)を書きたいと思ったのか、それともこの題材自体を物語に仕立てたかったのかということだ。駱駝の処し方、ラストのスリリングな盛り上がりがみごとに描かれているだけに、どうかその問いを自身に向けて、もう一度書いてほしいと思う。人が、史実や歴史から抜けだして生き生きと動く姿を。

花村萬月

すらすら、鈍感。

 今回は文章に気配りが行き届いた作品が最終選考に残り、楽に読むことができました。この楽に読めるということは娯楽小説においては第一義といっていいくらいに重要なことです。唯一「あの頃トン子と」の応募原稿がいまどき文字と文字の間隔がやたらと間延びしてプリントアウトされていて、おそらく年配の応募者なんだろうなと思いつつ読み進めました。視覚的には読みづらいことこの上ないのですが、内容はすらすら頭に入ってきます。文章も破綻がない。読了した感想は、字間の空いた原稿を平然と応募してくることと同様、作品自体もなんともいえない鈍感さに支配されていました。犬や猫を可愛がるのと同様に豚を愛玩する小説ですが、【愛】豚を豚骨ラーメンのCMにだしてしまうといったあたり、所詮は豚という作者の無意識にあるであろう思いが逆に面白く感じられました。補身湯(御存知でしょうが犬肉鍋です)でも猫肉鍋でもなんでもいいのですが、それらのCMに自分の愛犬や愛猫を登場させる愛犬家や愛猫家はあまりいないのではないか――といかにも皮相な笑みを泛べてしまいました。作中にはトン子ならぬイモ子という人間の女性が登場します。名前のとおり、不細工に描かれています。私も不細工ですから女の貌のことをあれこれ言えた義理ではありませんが、このイモ子に対する扱いはどんなものだろう――と、またまた作者の無意識の差別区別選別意識を感じとってしまいました。作者のこの無意識に乗ってあえて私も書いてしまいますが、ブタ(家畜)とブス(人)の扱いがイコールなのは微妙です。点数は二番目でしたが、今回の応募作のなかでも選考委員のあいだでいちばん遣り取りがなされた作品でした。結果、受賞はならなかったのですが、こういった批判の言葉を並べた私が、あえて奨励賞にしようと言いだして強引に書籍化してもらうことにしました。この鈍感さは逆に得がたいものだと確信しているからです。一部のベストセラー作家の作品、そして人柄は生得なのか後天なのかは判然としないけれど、往々にして得も言われぬ鈍感さに支配されています。正確には過敏であるけれど鈍感、とでもいえばよいかもしれません。この鈍さから派生する臆面のなさこそが大勢に受け容れられる大切な要素なのです。ただしイモ子のような女の描き方は戦略的には一考したほうがいいでしょう。なにせ読者の半分は女、なので。また山場で大きな傷もありましたが、牧畜業に従事したことのない読者は気付かないだろうと私もあえて鈍感になって目を瞑りました。「バトンパス」もすらすら読めました。問題はすらすら読めただけで、一向に盛りあがらなかったことです。盛りあがらぬままに頁を繰らせるならば、もっともっと人物の綾を描かなければなりません。「眠れない夜になく」は今回の応募原稿のなかでもっとも誤字脱字が多かったのですが、それは私が頭の中で補完すればすむことで(とはいえ、その瞬間に読書が途切れるのだから、プロを目指すならば推敲は徹底しましょう)すらすら読めました。私は進学のことを考えたり受験勉強をしたことがないので知らない世界のこととして学園生活の様子等愉しく読めましたが、いかんせん破壊力不足でした。「ヴィーナスの林檎」は情報が詰まっているわりに、これもすらすら読めました。でも、すらすら読めてしまうのは人の描き方が紋切り型だからです。私としては娼婦よりも職人とその技についての描写をもっと読みたかったです。「お師匠さま、整いました!」は今回の応募作において、もっともすらすら読めた作品でした。この過不足ない匙加減は文章を書き慣れた人ならではのものでしょう。気配りの行き届いた大きな傷のない佳品です。朝井まかてさんの応募原稿を読んだときと同様の好意を覚えました。けれど好ましいものには、必ず窃かな深みのある毒を盛ることを忘れないでください。『桃にとって、「頭がすっきりする」手段は、夜毎に繰り返される夫婦の交合だった』とさらりと書けてしまうのですから、すらすらだけではない実をもっていると信じて受賞作に推しました。今回奨励賞に決まった城明さんには、受賞した泉ゆたかさんとは別の方向で大成していただきたいと切に念じています。

最終候補作品

  • お師匠さま、整いました! / 泉ゆたか
  • バトンパス / 大滝知広
  • あの頃トン子と / 城 明
  • 眠れない夜になく / 寝待ゆき
  • ヴィーナスの林檎 / 有斗美暁生