小説現代

小説現代Facebookページ

小説現代Twitter

小説の愉楽を追求するノベルマガジン

小説現代

定期購読お申し込み

講談社リブラリアンの書架

小説現代Facebookページ

小説現代Twitter

小説の愉楽を追求するノベルマガジン

トップ > スペシャルページ一覧 > すべり落ちる時間 加藤千恵

すべり落ちる時間

加藤千恵

 みんな歳をとる。みんなみんな歳をとる。生きている人はみんなだ。お父さんもお母さんもお兄ちゃんもおばあちゃんも友だちもクラスメイトも先生も。
 そしてあたしも。こうやって匠哉たくやの家で過ごしているあいだにも、あたしは歳をとりつづけてる。
 このことを考えると、いつも背中がぞわっとする。怖いとかそんなもんじゃない。今すぐ泣きだしたくなるような、叫び出したくなるような、とにかく落ち着かなくて不安になる気持ち。
 あたしはアニメが流れる画面に背を向けて、後ろから抱きしめてくれている匠哉の体に巻きついてみる。
「なんだよー、DVD見ないの?」
 とがめるような言い方をしているけど、響きはちょっとだけ甘さを含んでる。アニメはさっき、近くのレンタルショップで借りてきたのだ。匠哉がずっと見たかったものだと言い、あたしはどっちでもよかったから従った。
 答えずにいると、そのまま頭をなでられ、首筋に軽くキスをされた。またセックスになってしまうかもしれない。セックスは既にお昼から今まで三回もした。正直ちょっとあそこがヒリヒリするし、もうしなくてもいいけど、セックスをしてるときは、歳をとることについて考えなくてもいいから、その点ではいい。
 巻きついたままで、視線を動かした。他人の家のリビングは落ち着かない。物がたくさんあって、このどれもが、あたしとはまるで関係がない。食器棚の中のカップ&ソーサー。サイドボードの上の置き時計。笑顔を向ける両親と、口をとがらせている幼い匠哉が三人でおさまる写真立て。そうだ、この空間にも、間違いなく時間は流れてる。実際に会ったことはない匠哉の両親だって、この写真のときよりは、ずっと老けこんだだろう。時間からはどこに行ったって逃げられないのだ。また背中がぞわっとするので、ごまかしたくて、匠哉の首筋に顔を強く押しつけた。
 こんなふうに思っていることは、誰にも話していない。
 友だちに聞いてみたいけど、何言ってるの? と笑われる気がする。笑われるならまだいいけど、ひかれちゃったり、気持ち悪がられるなんて耐えられない。
 特にあおい。中学から一緒の工藤くどう葵は、ずっと仲のいい存在だけど、時々距離を感じる。あたしのことをバカにしているんじゃないかなって思えるのだ。葵はクールだ。いつだって冷静で大人っぽい。一緒にいてくれるけど、何を考えてるのかわからないところがある。たとえば葵に、歳をとることをどう思う? なんて聞いたら、生きてるんだから当たり前じゃない? とそんなに興味もない感じで返されそうだ。
 どうしてみんなは平気なのかな。
 歳をとって、いいこともあるだろう。お金を稼げるようになれば、もっと自由に過ごせるし、好きなものをたくさん買える。こんなふうに、親には葵と会うって嘘をつかなくても、好き勝手に匠哉と会えるようになる。
 でも悪いことのほうがずっと多い。今持っているあらゆるものが失われてしまうのだ。太ったり、顔にしわやシミが出てきたりして、男の人たちから見向きもされなくなる。毎日毎日大変な思いをして働くっていうのも考えたくない。歳をとれば、病気になりやすくなったりもする。あたしは永遠に高校生のままでいたい。
真貴まきってやけにくっついてくるよなあ」
 匠哉の言い方が、誰かと比べているようで、たとえば元カノを思い出しているようで、あたしは一瞬悲しくなるけど、でもそうじゃないと必死に思い直す。そうかなあ、と自分でもわざとらしく感じられるほど甘い声を出した。
「ねえ、そういえば、このあいだね」
 巻きついていた腕をほどき、また匠哉に後ろから抱えられる形になって、あたしは話し出す。だから、うん、と答える匠哉の表情は確認できない。
「中学のときの同級生見かけたの。古橋ふるはしゆきって子で、超暗くて、ブスで、全然誰とも口きいてなくって」
「へー」
「そうなの。気持ち悪いんだけど、その子、書店でタロット占いの本読んでたの。しかもね、普通の占いの本じゃないの。占い師側っていうか、占うための心構え、みたいな?」
「気持ち悪いな」
 どうでもいいよ、そんなの、と言いたがってる気配を含みながらも、匠哉がそれなりに話を聞いてくれたことに、あたしは満足する。自分でも、なんで古橋ゆきの話なんてしたのだろうと思いつつ。
 数日前、葵にも古橋ゆきの話をした。でも葵よりむしろ、高校から同じの、古橋ゆきを知らない他の友だちのほうが、気持ち悪いねー、って強く反応してた。誰にも相手にされなくて、多分彼氏も友だちもいなくて、何が楽しいんだろう。絶対にあんなふうにはなりたくない。
 匠哉はあんまりあたしの話を聞いてくれない。適当に相づちを打つばっかりで、全然ちゃんと聞こうとしてくれてないのがわかる。
 くだらない話題のときだけじゃなく、時々悩み相談したり、将来のことについて話そうとしても、あんまり態度は変わらない。正直、腹が立つし悲しくなるし、たまにそれで喧嘩にもなるけど、多分男子だからしょうがない。
 それにあたしは、匠哉の顔が好きだし、付き合えたのはラッキーだと思ってる。他にも匠哉のことを好きな子はいたし、今もいるだろうけど、タイミングが良かったっていうのもあった。彼氏はいないよりいるほうがいいに決まってる。かっこよかったり、モテたりするなら、なおさら。
「ねえ、塾の受付の人の話ってしたことあるっけ?」
「受付の人?」
「かなみんっていうの。三十代なんだけど、結構可愛い感じ。ゆっくりおっとりしゃべるいやし系で」
「へー」
 アニメはまだ流れてる。結構目を離していたから、もうストーリーはわからなくなってきた。ちょっとしゃべりすぎかもしれないって思ったけど、別に匠哉はそこまで迷惑そうでもない。黙っているとまた、自分が歳をとることについて考えちゃいそうだから、いろんな話をしたいけど、ほぼ毎日会ってるから、そんなに話すことも思いつかない。ちょっと眠くなってきた気もする。
 葵のことを思い浮かべた。別に可愛くないわけじゃないし、男の人にまったく興味がないってわけでもなさそうなのに、葵は彼氏を作らない。あんまり詳しくは話してくれなかったけど、高校に入ってから、告白されたってことも聞いた。なんで断ったのかは謎だ。あたしなら付き合うと思う。
 葵は大人すぎるのかもしれない。クールだから、同い年の男子なんて、子どもに見えて仕方ないのかも。あたしですら匠哉のことを、なんでこんなに子どもっぽいんだろう、ってしょっちゅう考えるし。
 男と女は、頭だか脳だかの構造が違うんだって、前に読んだ雑誌に書いてあった。別の生き物みたいに思ったほうがいいらしい。でも確かに、うちのお父さんとお母さんも、まるで違うタイプだし、本当にそうなのかもしれない。
「もう全然見てないでしょ」
 匠哉はそう言い、また頭をなでてきた。
「見てるよ」
 あたしは慌てて答える。
「嘘だー」
 両手でいきなり胸に触れられる。ここに来てから、匠哉に借りたTシャツを着て過ごしているので、ブラはしていない。もう、とあたしは言った。これからまたセックスになるのか、と思うと、ちょっと面倒くさい。
 このまま時間が止まればいいのに、とあたしは思う。思うっていうよりも、願う。祈る。
 明日目が覚めたときに、また今日だったらいい。そのくらい今日が幸せってことじゃなくて、時間の流れを止めてほしい。あたしはものすごく美人でもないけど、今はそれなりに可愛いって 思われてるだろうし、スタイルも悪くない気がしてる。大人になんてならなくていい。
 ずっと同じ一日を、匠哉と二人きりで過ごすのだ。宅配ピザを食べて、借りたDVDを見て、セックスをして。
 振り向きざまにキスをされる。あたしは目を閉じた。また別のことを考えてしまいそうになるので、キスに意識を集中させる。あたしはただ、このままでいたい。